SILMIDO

2005/06/04 日本テレビ放送版
2005/06/11 記
 目的のために死ねと教育され、今度は邪魔になったから始末される。ここまで深刻でないにせよ、作り上げてきたモノを反故にされる苦しみは解らないでもなく、そして教育されたとおりに「捕まるぐらいなら自決」する彼らが、哀しい。それでもなお、国家にとってはその程度だろうとも思う。少しの犠牲で多くを助けられるなら、それを選ぶのが指導者だからだ。万民のために100人そこらを犠牲にするなど、考えるまでもない。

 かといって、犠牲になる側が納得するわけもなく、そんな彼らを「同胞」と認めた者達も納得するわけもなく、けれど存在が赦されるわけでもなく。何の救いもないまま彼らは反乱を起こし、そして散っていく。訓練されたままに。最後の意地のままに。

 っとこの映画、上記のように哀しくも熱い内容なのだが、正直、バスジャックをして町に向かうというシチュエーションだけで、僕は「女囚さそり 第41雑居房」を思い出した。アレもまた、バスジャックの上に全滅していく話だから。そう言う想起の仕方もどうかとは思うが、しかし、このシルミドの元になった事件が起こったのが1971年。そして「女囚さそり 第41雑居房」は1972年の映画。もうそれだけで影響を受けているような気になってくるのだが……実際のところ、どうなんだろう? つか、バスの色と良い形と良い、なんかもう、強烈に(さそりを)思い出すんですケド。ケドー! って、時代が同じなのだから当然といえば当然なんだが。
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